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2011年4月28日 (木)

70年代の日本の鉄道(地方民鉄)

70年代は、既にモータリーゼーションの進展で地方の民鉄や各地の路面電車が次々に廃止されている時代でした。
この流れは60年代から始まっていたと見るべきなのでしょうが、まだそれを認識するには「若過ぎ」ましたので、個人的に実感できたのは70年代に入ってからでした。

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写真は大分交通の耶馬渓線。撮ったのは野路駅で74年の夏の写真です。
中津から守実温泉まで運行されていた耶馬渓線ですが、71年に全線のおよそ7割が廃止され、この時点ではこの野路が終点でした。

まあ、こういったローカル民鉄が利用客の多い区間だけを残して部分廃止されても、それからほどなくして全線廃止に至るというのはよ蒲原鉄道や越後交通でも見られたパターンですが、耶馬渓線も翌75年に全線廃止されてしまいました。

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長野電鉄の湯田中駅に停車中の2000系特急。1975年に撮った写真です。
もう間もなく引退する2000系ですが、この頃の長野電鉄は、2000系とOSカー以外は旧性能車。長野駅で、それらの写真を裏面のズラリと並べた「日本一大きな入場券」というものを売っていました。
湯田中駅は、急勾配を駆け上がったところに作られた駅で、おそらく最初は2両編成分のホームしか作らなかったのでしょう。そして、2000系の運転開始で3両編成で電車が入線するようになったのに、駅の奥側には道路があってホームを延ばせない。そこで、ホームの途中にポイントを設けて勾配の無い線路を長野寄りに分岐させ、ホームも延ばして3両編成が停まれるようにした。3両編成が発着する時は、駅の奥側にある道路の踏切を閉じて、スイッチバックさせたが、2両編成は普通に出入りさせた、そんなユニークな駅でした。
残念ながら、このスイッチバックも2000系よりも一足早く、5年前に廃止されてしまいました。


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こちらは、地方というカテゴリーには入らないと思いますが、京福電鉄叡山線を元田中駅で1978年に撮った写真です。
この頃はまだトロリーポール集電でしたが、ここが鉄道線でのトロリーポール集電の最後の砦だったそうで、この写真の直後に無くなりました。


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同じく京福電鉄ですが、嵐山線を1978年に撮った写真です。
こちらはZパンタのような形態のビューゲル集電でした。

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