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2011年4月25日 (月)

バーレーンのこと(2)

先日、バーレーンのこと(1)を書いた後、すっかり間が開いてしまいました。
その間に、湾岸諸国の軍が派遣されるなど、いろんなことが起きていたようですが、震災もあって、日本ではほとんど報道されません。

バーレーンは、アラビア湾岸南側で最初に石油が発見された国として知られています。残念ながらその産油量は多くはなかったのですが、その分貿易拠点として国を発展させることを選び、ある程度成功していました。

私も中東に初めて立ち寄ったのがバーレーン。南回り便でヨーロッパに向かう時のことでしたが、80年代前半ながら既にボーディングブリッジ付きの立派な空港が出来上がっていました。

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バーレーンについては、サウジアラビアとの関係なくして語る事はできないでしょう。
サウジアラビアは宗教的な制約が厳しく、外国人には住みにくいところ。そこで、サウジアラビア相手にビジネスをするための拠点を、バーレーンに構えた。よって、油価が高くなって、サウジビジネスが伸びている時には、バーレーンも豊かになりました。
中東を代表する石油開発関係の学会兼見本市も、80年代からバーレーンで2年に一度開催され、サウジアラムコのプロジェクトについての発表などが行われていました。

ところが1986年以降、油価が低迷し、サウジビジネスもしぼんだものだから、バーレーンも貧しくなった。それが1990年代の騒乱を引き起こしたと言えます。あの時はサウジが資金的な援助をして、安定させたと聞いています。何しろ、バーレーンはビジネスばかりでなく、サウジ国民の息抜きの場という役割も持っていたのですから、バーレーンが仮に「自分達と同じような」原理主義国家になったら、サウジとしては大問題ということ。このあたり、本音と建前が複雑に絡み合っています。

2000年代に入り、油価は回復しますが、その時には中東の貿易拠点としての地位は、完全にドバイにとって変わられていて、国の経済はなかなか上向かなかった。その不満が、今回のチュニジア、エジプトの政変が引き金となって、表面化したということでしょう。

今後、バーレーンはどうなるのでしょう。

うかつなことはかけませんが、どういう形であれ、落ち着いて欲しいというのが、今後も中東とは付き合って行かなければならない者としての本音です。

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