1970年代の東京の私鉄(4)ー営団地下鉄1972年
地下鉄はなかなか写真を撮りにくいものですが、地表に出ている終端駅がねらい目となり、千葉に住んでいると必然的に東西線の西船橋駅となります。
営団5000系の快速です。
この頃は浦安も通過で東陽町までノンストップでした。
東西線が西船橋まで伸びたのは1969年でしたが、これにより東京までものすごく早く行けるようになったと、子供でも実感していました。
今とは全く違って、当時の東西線の地上区間は本当に何もない原野が広がっていました。
私鉄最長(南海が走る関空連絡橋を私鉄の橋に含めるなら2位)の荒川中川橋梁も、今は橋の東側のかなりの部分が普通の道路もビルもある土地になっていて、タイトルと取るためにサバを読んでいるように見えますが、当時は本当に湿地帯をまたぐ鉄橋でした。
後に、新聞で当時の営団の幹部が試運転列車に乗って、「なんでこんな何もないところに線路を敷かねばならなかったんだ」と言ったとかいう話を読んだこともありました。
普通は必ず原木中山か葛西で快速に抜かれるので、乗ることはめったにありませんでした。
そして、この頃は5000系の正面の帯を太くし始めていた時期でした。
運転席の窓越しですけど、太帯になった編成を撮っていました。
こちらは北千住駅の営団3000系。通勤電車なのにパノラミックウインドウ、というのが印象的でした。
丸ノ内線の6 00系です。
確か撮ったのは霞ヶ関だと思います。
当時は銀座線はシルヘッダーやリベットのついている車両、釣り掛けモーターの車両も沢山走っていましたから、赤坂見附で銀座線から丸の内線に乗り換えると、丸ノ内線の車両がとても近代的に見えました。
こちらは近年の桜の季節の御茶ノ水駅。
この02系もこれから数を減らして行くのでしょう。
(5)は京浜急行です。
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