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2020年8月11日 (火)

1972年の首都圏の国鉄(4) ー165系急行

当時は、まだ国鉄在来線の優等列車は急行が主力であり、7月改正で外房線・内房線が特急主体となったことが珍しく思われていた時期でした。
よって、首都圏のターミナルを出発する優等列車も東京地下駅を除いては、急行の方が多く、その中心が165系でした。
165系急行のうち、千葉のものは以前にも紹介しましたし、今後も別の機会に紹介するつもりなので、ここで取り上げるのはそれ以外の165系急行です。

当時の急行列車は、もともと急行だったものと、準急から格上げされたものに概ね分けることができました。
高崎線系統で言えば、前者は「佐渡」であり、後者は「ゆけむり」「草津」「あかぎ」など。同じ急行でも停車駅が前者の方が少なく、編成は前者はグリーン車2両にビュフェも連結した13両編成で、後者はグリーン車1両、ビュフェ無しの7両編成で、高崎線内は「ゆけむり」+「草津」などの併結運転で14両編成で運転といった違いがありました。

 

2_165_1

写真は上野駅を出発した「佐渡」です。
ヘッドマークがついているのを見て慌てて撮ったので、このような写真しか撮れませんでした。
「佐渡」のヘッドマークを見たのは、後にも先にもこの時だけでした。

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2_165_2

上野駅で発車を待つ「ゆけむり」です。前部にはおそらく「草津」が連結されていたものと思われます。
当時の「佐渡」の停車駅が大宮を出ると熊谷、高崎だったのに対し、「ゆけむり」などは岡部や深谷にも止まりました。深谷に急行が止まるようになったのは、有力代議士の政治力によるものと、当時はよく話題になりました。
また、「佐渡」に使われる新潟の編成は上野寄りがクハ165であるのに対し、「ゆけむり」等に使われる新前橋の編成は上野寄りがクモハ165です。
これは、本来なら新潟の編成の方が基本通りの向きなのですが、横軽を通過する編成については、補機と連結する麓側に重い電動車を連結するという考え方から、逆転させたと聞いています。

 

2_165_3

こちらは東京駅で発車を待つ「ごてんば」です。
東京駅発の急行は、当時は153系がほとんどでしたが、急勾配の御殿場線に入る「ごてんば」は165系でした。ただ、高崎線・上越線や中央本線の165系がクモハ165を使った3両ユニットが基本であったのに対し、「ごてんば」はモハ165を使って両端をクハ165とした4両編成でした。「ごてんば」は「東海」と併結しての運転であり、当時の「東海」は153系の12両編成でしたから、東京を出発する時点では16両編成。確か荷物車などを含まない、旅客車だけで16両というのは在来線最長の編成だったはずです。

 

2_20140302_185

最近の写真としては、2014年に撮影した湘南カラーのブロック塗装となった185系による「あかぎ」です。最近はかなり編成が変わってきましたが、新前橋の185系は長らく165系時代のグリーン車1両を含む7両編成を踏襲していました。

(5)は169系急行です。

 

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