1972年の首都圏の国鉄(5) ー169系急行
169系は165系に横軽間でEF63と協調運転する機能を付加した形式であり、181系の「あさま」が8両編成であるのに対し、急行の「信州」「妙高」は12両編成と差があり、この頃の信越本線では急行の方が輸送の主力という印象でした。
この時期、私達家族は毎年志賀高原か妙高高原にスキーに行っていたので、169系はひときわ馴染みのある形式でした。
いつも往路は夜行、復路は昼行というパターンで、夜行の季節列車だった「妙高4号」か「信州6号」を使うのが常でした。
当時はスキー宅配便もありませんから、みんなスキーを担いで、車内の網棚にぶら下げていました。スキーの長さが急行型車両のボックス席の一区画よりも長いので、これをきちんと納めるには前後のボックスとの間で協力する必要があり、自然とスキーヤーのモラルを高めていた面もあったかなと思います。
上野駅で発車を待つ急行「信州・志賀」で、ここに写っている長野よりの3両は屋代駅から長野電鉄に乗り入れるて湯田中に向かう急行「志賀」です。
上述のように志賀高原に向かう時は、ほとんど夜行だったのですが、一度だけ「志賀」で湯田中まで行ったことがあります。
こちらは上野駅で折り返す「妙高」です。「信州」で到着し「妙高」で折り返す運用でした。
当時はサボを差し替えるため、ホームの反対側のドアを開けて作業をしていました。
「信州」から「妙高」の場合は行き先札と列車名札を交換する必要があったわけです。
最近の写真としては、2013年1月にしなの鉄道の169系が引退する前に運転された急行「志賀」です。この日はことの他気温が低く、カメラのバッテリーがすぐに切れてしまいました。車内がボックスシートではなくなってしまっていたのは少し残念でしたが、浅間山を眺めながら軽井沢まで急行型電車に乗るというのは、40年前にタイムスリップした気分でした。
(6)は近郊型電車です。
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