1975年の日本の鉄道(7)千葉気動車区
西千葉駅と稲毛駅の総武本線の線路の北側には、千葉気動車区がありました。
千葉県内の国鉄は早くから気動車化を推進し、1960年代には、房総東線、房総西線(現外房線、内房線)は朝夕の通勤通学列車を除いて、総武本線、成田線も大多数が気動車による運転となっていました。
この気動車の基地となっていたのが千葉気動車区であり、1954年に全国で初めての気動車区として誕生しています。
でも1974年10月に北総電化が完成してこれらの線の普通列車が電車化され、1975年3月改正で、急行「犬吠」「水郷」も、多くが特急「しおさい」「あやめ」となり、残った急行も電車化され、千葉県内の気動車の運転線区は久留里線と木原線だけとなったため、千葉気動車区も役割を終えることとなりました。
そんなガランとした千葉気動車区の写真が残っているので紹介します。
最後に配置されていたのは、急行運用に入っていたキハ28系とキハ45だったはずです。この写真は確か改正の1ヶ月後くらいの写真だと思いますが、まだ1本、研修庫に残っています。脇を東京行きの特急「わかしお」が駆け抜けます。
これは、以前に大宮の鉄道博物館の展示されていた冊子の表紙ですが、千葉気動車区を空撮したものです。気動車5000両という表記や、キハ26のヘッドマークの形状からみて、1967、1968年頃の写真ではないでしょうか。
奥の研修庫の方には、踏切事故でも起こしたらしいキハ35と救援車が停められていました。こういった事故に遭った車両は、証拠物件ともなるので、なかなか廃車できないと聞いています。
1975年3月改正で山陽地区から転属して来た、非冷房153系の急行「外房」です。
この改正で循環急行「なぎさ」「みさき」が廃止され、内房線急行は館山行「内房」、外房線急行は安房鴨川行「外房」となりました。
1969年の房総西線千倉電化で初めて電車急行「うち房」が誕生しましたが、この時に新製配置(津田沼電車区)された165系は最初から冷房車だったので、この153系は「遜色急行」になってしまいました。ただ、翌年あたりには冷房化されていたと記憶しています。
稲毛よりにあったターンテーブルです。右に見えている建物は専売公社のタバコ倉庫でした。
その後気動車区の跡地は更地となり、1981年の高架複々線化の用地にもなりました。近年の写真としては2006年に稲毛駅の快速線ホームから西千葉方を撮ったものですが、253系成田エクスプレスの奥に、黒砂信号所に止まっている「宴」の姿が見えます。
気動車区の土地があったので、ここに待避線を設けて信号所とし、このような団体列車の待避や、外房・内房線系統と総武・成田線系統相互間で直通する臨時列車を運転する際の折り返しの施設として使われています。
(8)では両国発の急行列車を紹介します。
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