1975年の日本の鉄道(2)上信越線の特急列車
子供の頃から上信越方面にスキーに行っていたこともあり、上野発の列車としてはどうしても東北常磐系統よりも上信越系統の方に思い入れがあります。
その上越線を代表する特急といえば「とき」ですが、1973年頃から冬季に181系の故障が目立つようになり、対策が検討された結果1974年の年末から183系1000番台が走り始めた、そんな時期でした。
当時の181系「とき」の先頭車として、最もよく見るタイプだったと思います。
こちらは大宮駅で撮ったものですが、スカートのタイフォンの孔が丸型です。現在鉄道博物館の保存されているクハ181ー45がこのタイプですから、元161系はこの姿なのかもしれませんが、クハ181ー109を改造したクハ481ー501もこのタイフォン孔でした。
スカートが長く、タイフォン孔が横長の、いかにも山陽線から転属して来ましたという姿のクハ181です。
極少数、赤帯のないクハ181も走っていました。山陽線から181系が完全に撤退したのが1973年のことですが、こういった元151系の車両は、この年の「あさま」「あずさ」の189系化で、次々に廃車されて行ったと思います。
183系1000番台の「とき」です。まだデビューして2ヶ月くらいの写真です。
秋田行の「いなほ」です。秋田というと「つばさ」のイメージですが、所要時間はむしろ「いなほ」の方が早かったと思います。
長野行「あさま」です。上野寄り先頭車は横軽間でEF63と連結するための連結器を装備したクハ180です。
長野寄り先頭車は通常のクハ181ですが、この「あさま」、上の写真の「あさま」とヘッドマークの書体が少し違います。181系「あさま」はEF63と協調運転ができないため、8両編成に制限されて輸送力のネックになっていたので、この年の10月に189系に置き換えられました。結果的にこれが181系「あさま」を撮った最後の写真になりました。
横軽間でEF63と協調運転できる489系が、1972年に「白山」用として製造されていましたが、これを増備して、その間合い運用で一部の「あさま」を運転していました。「白山」編成ですから食堂車を連結していましたが非営業。それでも181系の8両に対して489系は実質11両と定員を増やすことができていました。
「白山」はこの時点で3往復が運転されていました。時間帯の関係で長野にスキーに行った帰りに乗るのはいつも「白山」でしたが、残念ながら一度も食堂車は使いませんでした。
近年の写真としては、新潟で最後の活躍をしていた国鉄色の485系による新潟発舞浜行き団体列車です。2014年に武蔵野線の市川大野駅で撮りました。
(3)では「あさかぜ」を紹介します。
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