1978年の日本の鉄道(3)京福電鉄・京都市電
1978年の日本の鉄道の紹介に戻ります。
(3)は京都市内を走っていた京都市電と京福電鉄です。
このシリーズで紹介している写真は、夜行列車を乗り継いで南は九州から北は青森まで日本国内を周った旅の間に撮ったものなのですが、(2)で飯田線を乗り通した後は、松本に出て、夜行の急行「ちくま」に乗って大阪方面に向かっています。
既に中央西線も全線電化されていましたが、この年の10月以前の「ちくま」は気動車急行でした。
京都市内で、京福電鉄や京都市電の写真を撮っており、この時に撮った京福電鉄の写真は
『70年代の日本の鉄道(地方民鉄)』
の中で一部紹介しています。
元田中駅で撮った京福電鉄叡山本線(1985年に叡山電鉄に分社化)のデナ500形です。元は阪神831形で1928年頃に製造されています。この写真を撮った頃から、デオ600形に走行機器を供出しての置き換えが始まっていて、1983年に引退しました(現在は叡山電鉄叡山本線)。
以前の記事でも紹介したように、当時の叡山線はポール集電でした。また元田中駅は、上下線のホームが東大路通を挟んで別れている駅で、この時点ではこの踏切(交差点扱いらしい)で東大路通を走る京都市電と平面交差をしており、手前にその線路が写っています。
こちらのデオ200形は単行運転でした。デオという形式名はデンドウ・オオガタの略で、デオは上のデナ(ナはナカガタの略)よりも収容力が大きかったということでしょう。1951年製造で、1988年にデオ720形に機器を供出して廃車されました。電車の通過に合わせて道路交通を止めていたらしい、赤旗を持った駅員が写っています。
同じく元田中駅で見送った下り列車の後追い。ネガスキャンの写真です。
このデオ300形は1959年に製造されたカルダン駆動車でしたが、1988年にデオ200形とほぼ同じタイミングで廃車されてしまいました。
京福電鉄嵐山本線帷子ノ辻駅で撮った四条大宮行きのモボ121形です。1936年に製造され、車体更新がなされなかったこの形式は、モボ611形に機器を供出して1996年までに廃車になっています。この車両よりも前に製造されたモボ101形は、車体更新がなされたため、現在でも在籍しています。
帷子ノ辻駅に隣接している車庫です。
当時は外周だけ残っていた京都市電を西大路七条で撮った写真のネガスキャンです。
こちらもネガスキャンをした京都市電の写真なのですが、撮影場所は西大路なのか、東大路なのかよくわかりません。
近年の写真としては、梅小路公園の保存車両などを
『1973年の日本の鉄道(2) - 京都市電』
でアップしてしまったので、伊予鉄道に譲渡された旧京都市電の2000形です。
(4)では山陰地区の写真を紹介します。
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