1973年の日本の鉄道(追加:12)野田市のりもの公園
前の記事で野田市の清水公園に併設された「のりもの公園」に小学校の遠足で訪れたと書きましたが、その「のりもの公園」に展示されていた「のりもの」を紹介します。
なお、この公園のパンフレットは前の記事に貼っていますから、参照してください。
C57型機関車は、千葉県内でも旅客列車の牽引を担っていました。この129号機は1969年に廃車になっていますが、最後は新小岩機関区だったようです。
「のりもの公園」閉園後もしばらくは保存されていたようですが、保存状態は良いとは言えず、1996年に解体されてしまったそうです。
玉電の200型(206)で、C57とは異なり千葉とは縁がない車体なのですが、こちらも1969年に玉川線が廃止になったタイミングで、ここに運ばれたようです。先進的な設計の路面電車でしたが、それが故に使い勝手が悪く世田谷線には引き継がれなかったとのこと。
この車両は閉園時に解体されてしまったようです。
やはり屋外展示だとメンテナンスが大変なのだということがよく分かりますが、まだ綺麗な姿が見られた時期にここに行けたのはラッキーだったかなと思います。
園内にはこのような分岐器も置かれていました。特に搬入の都合とかではなかったと思います。
鉄道以外の「のりもの」としては日野製のバス(スクールバス)が展示されていました。
なぜか砂の上に傾いて鎮座させられた船。なんだか座礁しているように見えます。パンフレットによると1968年まで東京湾で使われていたどうですが、造られたのが1962年、土浦の井上造船所製とのことで、そんなに新しい船には見えないのと、もともとは霞ヶ浦で使われていた船が利根川、江戸川と伝って東京湾で使われるようになったらしい、というなんとも不思議な展示物でした。
F86D戦闘機です。セイバードッグという名前がよく知られていますが、パンフレットには愛称は「月光」と書かれています。同じF86でも主力だったF86Fと違ってレーダーを装備して全天候型だったから、こういう愛称だったのでしょうか。何も知らないのに、ちょうどD型の特徴であるレーダードームを強調するような角度で写真を撮ってます。
F86DはF86Fよりも、早く1968年頃には部隊としての運用は終わっていたようですから、ちょうど退役のタイミングで搬入されたのでしょう。
T6練習機です。もともと1930年代に設計された練習機のようで、エンジンもレシプロ、また尾輪式という第2次世界大戦時の主力機と言って良いスタイルをしています。
この機種もこの頃に自衛隊から退役していたようです。
三菱製のブルドーザーです。「のりもの公園」という名称からは最も遠そうな展示ではないでしょうか。上記の戦闘機や練習機も、基本的に操縦者しか乗れないものですから、「のりもの」という範疇に入るかと言えば、かなり疑問でした。
このような多くの実物を展示する公園があったのですが、やはり屋外展示ではメンテナンスに問題がある。キッコーマンも開設には協力したけど、その後の管理は野田市という役割分担だったのでしょう。
20年経たずに閉園になってしまったのは残念でした。
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